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「ソフトバンク 孫正義」物語 第一回 はじめのご挨拶
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その1

はじめに 生まれたところは、線路脇の無番地

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 貧乏な家系のため小学校しか行けなかったにもかかわらず、その後奮起、世界的な企業を作り上げた松下幸之助氏や本田宗一郎氏、同じく貧乏な家系で小学校の勉学もそこそこに、綿織物工場の女工員手伝いボーイや電報配達ボーイなどの仕事を転々しながら、のちにアメリカきっての大富豪・鉄鋼王となったアンドリュー・カーネギー氏など、努力の結果、世の中で語り継がれるようになった伝説の人たちはたくさんいます。

 そんな過去の人たちもいますが、番地もないところの線路脇のバラック小屋で生まれ、子守役のおばあちゃんのリヤカーに乗せられて近所の食堂の裏口をまわりながら、家で飼っていた豚の餌となる残飯をもらいにいくという、前述の人たちよりもさらに貧困を極めた境遇から、今や2017年度の売上が9兆円、純利益が1兆4千億円の大企業を作り上げている現役人がいます。ソフトバンクの孫正義氏です。

 その孫氏の生き様やその過程を詳しく見ていきますと、逆境の中にいる人たちには奮い立たせてくれるエネルギーを、迷っている人たちには的確なヒントを、また道半ばの人にはその背中を押す形でさらに力を与えてくれるという、ビジネスマンや経営者はもちろん、一般の社会人や学生の皆さんまで、どんな人たちにも参考になり、お役に立つと思われることが多々出てきます。

 このような実情に鑑み、その幼少期から、どのようにして今日のソフトバンクを作り上げるまでになったのか、具体的な事例とともにそのキーポイントをピックアップしながら、ここに孫正義氏の連載を始めることに決めました。
 特にその中で氏の考え方や行動は、最大限の迫力と臨場感あふれる形でご参考にしていただけるよう、できるだけ本人自身による生の言葉をそのままお届けしていこうと思います。

 これら生の言葉は、
 孫正義・大いに語る(PHP)、孫正義が吹く(東洋経済)、孫正義の将来(東洋経済)、幻想曲(日経ビジネス)、ソフトバンクの野望(週刊東洋経済)、ニュースステーション(テレビ朝日)、巨富を築くシンデレラ・ボーイの鼻(週刊朝日)、ベンチャー企業経営者列伝(プレジデント)、ゼロから掴んだ男たち(徳間文庫)、コンピュータ新人類の研究(文春文庫)、宮崎緑の対談(月刊経営塾)、IT時代・成功者の発想(PHP)、孫正義(日本能率協会)、感性の勝利(経済界)、孫正義の10年後発想(あっぷる)、インタビューと記事(日本経済新聞)、アエラ(朝日新聞)、ビジネス戦記(朝日新聞)、インタビューと記事(週刊朝日)、インタビューと記事(夕刊フジ)、人間探検(エコノミスト)などの文献や、ソフトバンク年次報告や社の記念行事におけるビデオ集の他、多くの報道番組や新聞、雑誌などから抜粋したものです。

 もう一つ、この連載の中で意図してスペースを割こうと思っていることがあります。
 氏は日常業務の中で、しばしば「どうして休みがあるのか、どうして夜があるのか。また1日が24時間だなんて誰が決めたんだ、」との言葉を口にするそうです。
 この言葉を外部の人間が聞けば、さぞかし苦虫を噛み潰したしかめっ面をしながら激務と取り組んでいる氏の光景を想像しがちです。
 しかしそれはむしろ逆で、仕事が楽しくてしかたがないところから出てくる言葉だそうです。このように私が直接取材した孫氏の側近が語る「人となり」や、さらにまた前の連載「あなたはビル・ゲイツの試験に受かるか」で人工知能の話を見ていただいたように、「脳の不思議と人工知能」の話などを閑話休題として、時折おりまぜながら進めて参りたいと考えています。

 それではまず、生いたちのころを語っている氏の言葉からご紹介しましょう。

生れたところは無番地

 【家系を辿ると、23代前までは中国にいたようで、それから今の韓国に移ってきました。そして祖父母の代に生活が苦しくなって日本へと渡ってきた。
 両親は詳しいことをはっきり言わないし、私も聞いて確かめたことがないが、どうも船の底に隠れて日本に渡ってきたのでは、と思っています。戸籍上、父は日本で生まれたとなっていますが……。母は日本で生まれました。
 私の戸籍は佐賀県鳥栖市五軒道路無番地と書いてあります。無番地ならわざわざ無番地って書かなきゃいいのに。
 不法住居で自分たちの土地ではなくて、線路脇の国鉄の空き地にトタン屋根で板を貼って住んでるわけですから、正式に戸籍を認めるわけにはいかないということだったんだと思います。無番地で生まれました。

 汽車が通るたびにうるさく、地響きはするし大変な場所だったようで、時に火事が起こる。すると役場などは、この時とばかりに追い払おうとするわけです。
 でも、次の日にはもう新しいバラックが建っている。追い出すにも追い出せないまま、住んでいるはずのない場所に人が住んでいる。だから無番地なんです。
 私はおばあちゃん子でした。おやじやおふくろは必死で働いていますから、結局、おばあちゃんが私の面倒を見るわけです。

 今でもはっきり覚えているのは、家で飼っている豚のエサのために、おばあちゃんがリヤカーを引いて、駅前にある近所の食堂などへ残飯をもらいにいくんです。
 リヤカーにはドラム缶を半分に切ったものが3つ4つ積んであって、私は残飯のいっぱい入ったドラム缶と一緒にリヤカーに乗せられることになる。あの臭い、汁のこぼれたヌルッとした感触は忘れようがありません。
 リヤカーを引っ張る取っ手の部分や掴まるところにも、いっぱい付いていて、いやでいやでたまりませんでした】と。

 こんなどん底を幼少期に体験していた氏ですが、さらにそれに追い打ちをかける形で、もの心の付くころになった遊び盛りの少年の心に、家族の置かれている境遇が暗い影を落とすのです。

 【以前、日本では多くの韓国人がひどい差別を受けていました。例えば、60万人ぐらいいると思われる在日韓国人のうち、99%は本名の韓国姓ではなく、日本人の姓を名乗っていました。日本政府が日本人の姓を名乗るよう要求していたからです。彼らが日本人の姓を名乗っている限り、大抵の日本人はそのことに気づきませんでした。
 しかし、いったん韓国人だとわかると、あらゆる差別を受けることになる。私自身はそういう問題をうまく解決していました。安本という日本姓を名乗っていた私は、韓国人だということを努めて隠すようにしていたからです。私の家族や親類の者は、今でも安本という姓を名乗っています。今の私だけが例外ですが……。
 中学1年生のとき博多に移りましたが、当時はいつも暗いものが心にひっかかっていました。それは自分が韓国人だということでした。友達といるときは楽しく騒いでいるものの、一歩家に入って一人になると、友達に何か隠し事をしているような気がしてならなかったのです】と。

 子供の行動の世界では、あからさまに出てしまう当時の差別社会。それゆえ、本当の姓をずっとひた隠しに隠していたその小さな心を、どんなに傷めていたか想像できます。
 しかしそんな境遇だったからこそ、のちにそれが反面教師として今日の氏に導いたとも言えるのではないでしょうか。

 この少年時代に、隠しに隠していた「鬱」の気持をどう整理したのか、そしてその安本姓から、本日、どうして孫の姓を語っているのか。それはアメリカの高校への留学がきっかけでした。
 この「鬱」の気持ちは、多民族の国、そして自由の国であるアメリカ社会だったからこそ、そこで解き放たれたことがよくわかりますが、しかし前述のようなどん底の貧困家庭であったにもかかわらず、どうして留学などできたのか。

 1ドル360円という固定相場からニクソンショックで1ドル300円前後になった1974年当時の日本においては、海外旅行などはまだ夢物語に近く、しかもその留学は氏が高校1年生、2学期のことだったのです。
 この留学については、氏を語るのに欠かせない重要な資質と動機がありますので、後ほど詳しく見てもらいますが、まずは氏がアメリカで「孫」の姓を使い始め、さらに孫の名前で日本国籍を取ったその経緯を、1992年のハーバード・ビジネス誌上に載った氏の言葉でご紹介します。

孫という名の日本国籍

 【17歳の時、アメリカに行って高校に通うことになってから、私は「孫」という韓国姓を名乗るようになりました。そこではずっと韓国姓を通してきました。パスポートにも「孫」と書かれていますが、安本という日本姓がカッコの中に書いてあります。
 当時通っていた英語学校で、やはり九州出身の妻となる女性にめぐり会いました。私と一緒にカレッジに通い、バークレー校にも一緒に行きました。
 アメリカに行く前は、何か隠し事をしているような気がして仕方がありませんでした。しかし、アメリカで生活するうちに、生まれた国によって人を差別してはならないと考えるようになりました。そこでの生活経験から、以前より自由なものの考え方ができるようになってきたのです。

 1991年11月、私は数年がかりで、やっと日本国籍を取得しました。時間がかかったのは、日本国籍を取得すれば「孫」という名は、もはや使えないと言われたからでした。日本には「孫」なる姓がないという理由で、もし日本国籍が取りたければ、日本姓に変えなければいけないというのが、日本政府当局者の見解だったからです。私はあくまで「孫」のままでいることを主張したものの、らちがあきません。
 そこで考えました。それならということで、日本人である妻が裁判所に行って、「孫」という韓国姓に変更したい旨、申請を出したのです。

 妻は、公式には日本姓の旧姓をずっと使っていたのですが、日常生活では「孫」を名乗っていました。その彼女が、日本姓を「孫」という韓国姓に変更したいと、裁判所に行ったのです。その理由を聞かれて、妻はそれが夫の姓だからだと答えました。

 先方も前代未聞のことだったのでしょう、日本人で韓国姓に変更したのは、彼女が初めてだと言うのです。そして半信半疑、本当に韓国姓に変更したいのかと、何度も念を押されたそうですが、妻の答は変わりません。結局、最終的に裁判所が変更を認めてくれました。
 それから私は役所に行って、日本国籍を取得したいが、姓は韓国姓のままにしておきたいという意向を伝えました。そして「孫」という名の日本人がいるはずだ、と。
 帳簿を調べた結果、たった一人いた。私の妻です。さらに私は日本政府に対して、日本の国籍取得の申請を認めて、同時に韓国姓をそのまま名乗ることも認めるべきだと主張し、ついに認めてもらうことができたのです】と。

 一工夫も二工夫もして勝ち取った日本国籍であったことがよくわかります。しかしそれは1980年の帰国から11年ものちの1991年ことでした。
 実は帰国1年後の1981年、氏は従来の安本姓ではなく、孫の姓で起業したのです。その経緯をやはり氏の言葉で語ってもらいます。

損しても正義、そして正々堂々

 【留学から帰り事業を始めるとき、私は私流のやり方でアイデンティティーを持つことにして、最初から孫を名乗りました。親戚の人たちからは、それでは社員が集まらないぞ、銀行も金を貸してくれないぞ、と説得されました。ただ、おやじは黙っていました。
 日本にいても外国人登録証を携帯していないと逮捕された時代を経験し、みんな苦しい思いをしてきたのだから、気持ちは素直によくわかりました。
 でも自分は本名を正々堂々名乗ることに決めました。それで、もし社員が一人も集まらなくてもいい、お客さんができなくてもいい、銀行が貸してくれないならそれでもいい。それでもなおかつ自分を認めてくれる人が、本当の社員であり、本当のお客さんであり、本当の銀行だと思ったんです。

 その後、韓国籍のままだとパスポートを取るのが厄介で、また日本に税金も払っていますし、市民としての権利を持ちたかったので日本国籍に変えましたが、私は決して間違ったことはしないつもりです。法は犯さない、法には常に従う。そして法の精神を尊び、方法的には柔軟に対応する。
 私は「損しても正義」。私はこの名前が大好きです。損するような時でも、真っ正面から堂々と人生を歩みたい。小手先のテクニックで上手に世間を渡る必要はない。正義を貫き、それでもケガをしたらそれは名誉の負傷、そのうちケガも吹っとぶ、こんな気持ちでした】と。

 損しても正義、2004年の2月に450万人というかってない数のヤフー契約者個人情報が流出し、その後、犯人から恐喝を受けた際、真っ先に事実の公開を指図し、警察に協力を要請したのは孫氏でした。結果4ヵ月も待たずして、1年前まで同社のメールサポートセンターやシステム保守などを担当していた3人の犯人のスピード逮捕に結びつきました。

 続発する不祥事で企業のトップがメディアの前で深々と頭をさげる昨今のニュースに見慣れてしまっている我々ですが、通常なら、金を払いもみ消しに走り易い企業が多い中で、迷わず公開の指示を出したことは、氏の正義を貫き通す姿勢が端的に出ています。(連載 その1。 以下つづく)



 連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。


梶谷通稔 【執筆者】  梶谷通稔 - かじたに みちとし
岐阜県高山市出身 早稲田大学理工学部応用物理学科卒

元 :   米IBM ビジネス エグゼクティブ
現在: (株)ニュービジネスコンサルタント社長
    日本IBM  GBS 顧問
    東北芸術工科大学 大学院客員教授
    (株)アープ 最高顧問
 講演・セミナー・研修・各種会合に (スライド9125枚とビデオを使用)
 コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
 (参加者層に応じてミックス可) (各1~2時間)
  ・ビジネスの「刑事コロンボ」版。270各社成功発展のきっかけ遡及解明
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  ・栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  ・人生1回きり。あなたが一層輝くために。
  ・どう変わる! インターネット社会


 出版:
  1988年  『企業進化論』 (日刊工業新聞社刊) ベストセラー
  1989年   『続・企業進化論』 (日刊工業新聞社刊) ベストセラー
  2009年   『成功者の地頭力・あなたはビルゲイツの試験に受かるか』 (日経BP社)

 連載:
  1989年 - 2009年   『徒然草』 (CSK/SEGAの全国株主誌)   
  1996年 - 2003年   『すべてが師』 (日本IBMのホームページ)   
  1995年 - 2017年   『あなたはビル・ゲイツの試験に受かるか』 (Web あーぷ社)
  2017年 - 進行中   「ソフトバンク 孫正義」物語
  

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