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その16 スケールの大きい発想 最大展示ブース

シャープの佐々木正専務から貴重な助言を得、東京の(株)経営総合研究所に間借りして事務所を開いた孫青年は、その研究所の野田一夫会長を訪れ、今後の構想を話すと「将来性がある」と激励、称賛されました。
 野田氏は世界的な経営学者ピーター・ドラッカーの理論を日本に紹介した人で、そんな人から激励を受けた孫青年は“飛び上がるほどうれしかった。その後、野田氏は佐々木氏とともに、経験と人脈がない私にとって貴重なメンターになった”と語っています。

 名だたる野田会長から激励された青年は、いよいよこれからだと、新規事業の出立で意気も盛んに上がっていたことは想像の難くありません。が、しかし、地方から出てきたばかりか、誰も名前も知らない会社が、すぐに前代未聞の記者会見を経団連事務所に申し込みむなどということは、誰も想像できないことでした。

 それでも孫氏は、当時を振り返り、
 「1981年当時は、大手の成長企業すらもまだパソコン産業という言葉さえ知らなく、世の中、関心もなかったんです。だから当時の日本で、パソコンのソフトウェアなどというものはほとんど知られていなく、だからどんなソフトが手に入るのかなども、まったく見当がつかない状態でした。
 でも私は、ここ10年か20年のうちに、パソコンが社会にとって非常に重要な商品となり、やがてパソコン産業は飛躍的に伸びてくると見ていました。そして私は自分でソフトウェアを作った経験がありますから、最初にそれを生かしたビジネスを考えたのです。
 ところがせっかく作ってもそれをまとめて販売してくれるところがない。そういう社会的仕組みができていなかったのです。そこでまだ誰も手をつけていない、しかし今後大いに成長が期待できるパソコン界のソフト流通というビジネスを選んだのです」と言っています。

 しかしそうは言っても、当時の世の中、パソコンなどはほとんど知られていないわけで、ましてやそのソフトのことなどに関心を寄せる記者などは皆無の世界だったということです。だからその会見では、興味本位か、少々の時間つぶしのつもりでやって来たと思われる数名の記者しか集まらなかったことがよくわかります。
 しかしここで重要なポイントです。ここ10年か20年のうちに、パソコン産業が飛躍的に伸びてくると見ていた青年の先見性と、そしてそのソフト流通を見込んで、真っ先に企業団体組織の頂点である経団連にアプローチするという、とてつもなくスケールの大きい青年像を読み取れるということです。
そこでさらにまたこのあとで打った手も、次のように器の大きい青年像を彷彿とさせるものでした。氏は語ります。

展示会に資本金の8割も投入

【いざ開業してみると、どこに何があるかも皆目わからない。さらに、情報のつかみにくい地方というハンディ。ですから東京に出ました。すると1ヶ月もたたないうちに、家電の見本市であるコンシューマー・エレクトロニクス・ショーが大阪で開催されるという情報が入ったのです。
 私は学生時代、アメリカのコンピューター見本市で、最先端技術を直に手に取ってみることができた感動や興奮、そして直接開発者とも話ができるという展示会の魅力を鮮明に覚えていましたので、ソフトメーカーやパソコンメーカーの協力を得て、国内で入手可能なソフトをこのような展示会で一堂に集め、ユーザーや販売会社、代理店などに直接広くアピールすれば、当社がその流通の中心になれると考えたんです。当時、ソフトメーカーは開発だけで精一杯という状態であり、また数少ない販売会社も広告宣伝などの資金的余裕もまったくない状況だったからです。

 そこで私は、この見本市に800万円をかける一大決心をしました。資本金の8割です。だから周囲の人たちはみんな私を引き止めました。私の会社といえば、まだ誰も知らない名前だけのもので、製品も実績もなかったのですから当然と言えば当然のことです。
 でも、私は聞こえないふりをして、最も大きなブースを借りました。ソニーさんや松下電器さんの展示ブースと同じ広さのスペースです。そこを華麗に飾った後、デモ用に当時としては数少ない貴重なパソコンを一台置くことにして「出展費用などすべて当社が負担しますから、とにかく開発したソフトでデモを行ってください」と、ブースのないソフトウェア企業に無料で使ってもらおうと、かたっぱしからめぼしいところを探し出し、電話攻勢をかけました。

 名もなければ実績もない会社からの突然の申し出で、しかもそのうますぎる条件に戸惑っている様子がよくわかりました。が、とにかくやっとで10社余りとコンタクトが取れたのです。
 その展示会で、自書した看板「パソコン・ソフト販売の一大革命!」を掲げた当社展示ブースは、いつも黒山の人だかりで身動きもできないありさまでした。初出展ながら、こうして大盛況のうちに幕を閉じたのです。
 しかしそのあと不思議なことに、待てど暮らせど注文がまったく来ないのです。実は、出展したソフト販売会社が、訪れた客との間で「後日、直接取引しましょう」と、名刺交換していたことがあとでわかりました 】と。

  正真正銘、設立したばかりの無名会社でありながら、資本金の8割をはいて、ソニーや松下電器と同じ広さの展示場最大ブースを出し、自社だけでなく他の10社余りにも無料で使わせるようなことをする青年など、どこにもお目にかかれません。
 しかし大盤振舞いをした結末は、受注ゼロ。こんな状況では誰でも、呆然として何も手につかず、間違いなく寝込んでしまうのが普通です。

 ところが孫青年は逆でした。当初のインフラにかける大いなる志と、“パソコンが本格的に普及すると、必ずソフトの流通事業が重要な役割を担う”との見方はいささかも揺るがなかったのです。
 それどころか “みんなから笑われましたが、私は絶対にあきらめないといって、少しも動じませんでした。死にもの狂いで事業を成功させ、自分の考え方が間違っていないことを立証する”と開き直ったと言っています。
この出来事の中に、氏の「器の大きさ」とともに「志にかける意気込み」、そして「一世一代として選んだ事業には絶対後悔しないというスタンス」、さらに「無類のネアカ資質」などが垣間見えます。

 さて、展示会が終わって数週間も経ったころのことです。大阪から一本の電話が掛かってきたのです。真摯な姿勢というものを、世の中、誰かがどこかで見ているというよい事例で、その姿勢が自ずと道を開いてくれました。それを次に見てもらいます。

道は開ける

【そんなはずはない、何か訴えたはずだと、志はゆるぎないものでした。そして展示会が終わり数週間も経ったころ、大阪から一本の電話が掛かってきたのです。
 “パソコン専門の大型店を開きたいのだが、ソフトの品揃えについて相談に乗ってくれないか”というものでした。
 すぐにでも飛んで行きたい気持でしたが、すっかり大金を使い果したあとで、大阪までの旅費が頭の中をよぎりました。そこで忙しいことを口実に、今、突然すぐには行かれない旨を伝えると、電話の相手は“実は、当社は上新電機といいます。ご存知だと思いますが・・・・”と言う。知らない名前でした。
 すると、相手から“松下電器、あるいはシャープだったら貴方もご存知でしょう。先方に当社のことを聞いてみてください”といって電話が切れた。

 すぐに、電子翻訳機の特許でお世話になったシャープさんに問い合わせると、日本で三番目に大きい家電の販売会社であることがわかったのです。そして、すぐに大阪に行くように言われました。
 ところが、再び先方から電話が掛かってきて、社長が翌日、東京に行く用がたまたまあるので是非会ってくれないか、とのこと。
 翌日、社長の訪問を受け、聞けば、大阪からわざわざ私に会うために出掛けてきたとのことで、私は心から感謝しました。
 上新電機は、すでにパソコンの大型店舗を開店し、もう何社かと取引していたのですが、それでもソフトの品揃えに苦労していたのです。

 私はこのときとばかり、“もし私と一緒に商売を始めるのなら、ほかの会社とはいっさい縁を切って、独占的に取引をしてください。私にはお金もないし、またビジネスの経験もほとんどありません。しかし誰にも負けない熱意と、成功への確信があります。日本のNo.1ディーラーを目指されるのなら、ソフト販売のNo.1を目指す私と組まないとだめです。私は自分の成功を強く信じています”と言ったんです。
 すると、先方はびっくりした顔をしていました。でも、最後には“君は、面白い男だ”と言って、ソフトの独占取引を約束してくれたんです。

 それから上新電機の店に、日本にあるすべてのパソコンソフトを置くことを薦めました。先方では売れないソフトは返品したい意向のようでしたが、売れ残ってもかまわないから、と説得しました。
 日本で手に入るソフト全部が揃っていることこそ集客に一番重要で、ユーザーに対する最大の宣伝になるからです。
 そのあといろんなデパートやショップに出掛けては“上新電機は日本最大のパソコンディーラーで、その成功の秘訣はソフトなら何でも全部揃っているからです”と言って回りました。

 さらに“上新電機のソフト販売を、私が独占的に請け負っているので、あなたも成功したいなら、私をすぐに利用してください”と付け加えました。そうやって取引口座を開いてもらい、約1ヶ月で日本の大手ディーラーのほとんどが私の顧客になってくれたのです。
 この上新電機と契約するまで、わが社の売り上げはほとんどゼロでしたが、契約後は売り上げがどんどん増えていき、1年間で売上高が36億円にもなりました。先方も、日本で最初のパソコン専門ショップ「J&P」として誕生。パソコンブームの火付け役となって、売り上げが急増していったのです 】と。

  すごいですね。1ヶ月たらずで日本の大手ディーラーのほとんどを顧客にし、そして売上ゼロからたった1年で年商36億円。
 ところが一方、今ではビッグカメラやヨドバシカメラ、ヤマダ電機などの家電販売店を知らない人はいないくらいですが、当時、日本で三番目に大きいこの家電の販売会社を、孫氏が知らなかったという事実は何とも面白い話です。
 九州から出てきたばかりの青年ですから、無理もないことですが、当時、ソフトはおろかハードさえも、いかにまだ日本の市場でパソコンが市民権を得ていなかったという世相をよく反映している話です。
 日本にあるすべてのパソコンソフトをお店に置くことを薦めた青年、そして品揃えが客を日本一に引き寄せる重要ポイントであることを指摘する青年、ここでも商才に長けてた若者を見ることができます。
 また“日本のNo.1ディーラーを目指すなら、私と組まないとだめです”という青年に、先方があっけにとられている顔も目に浮かびます。
 この何とも型破り的な青年の押しの一手に、老練社長は呪縛にかかったかの如く、独占取引までも約束してしまうのでした。

  当時、名もない会社がソニーや松下電器と同じ広さの最大展示ブースを出すというだけでもニュースになるときに、その会社が破竹の勢いでビジネスを展開し始めたことから、週刊朝日が1982年2月6日号で取り上げています。
 その見出しは、スティーブ・ジョブズとともに「パソコンで巨富を築く日米シンデレラボーイの鼻息」というもので、パソコン産業の幕開け当時とスタートしたばかりのソフトバンクの様子がよくわかることから、手元にあるその記事の一部を以下抜粋してみます。

「アメリカ留学帰りの男がパソコン業界に殴り込みをかけ、大仕事を始めた。まだ24歳の若僧だが、信用絶大。業界のトップ連中も彼にかかるとイチコロらしい」 こんな話を聞いて、その青年を訪ねてみた。
 小さなオフィスに学生アルバイトなのか社員なのか定かでない若い男女5、6人が一斉に立ち上がって、「やあ、どうぞ、どうぞ」と。あわててタバコをもみ消す女性がいたのが、せめてもの会社らしい雰囲気。なにかサークル恬勁の詰め所にでも取材にきたような感じである。これで月商3億。ちょっと首をかしげたくもなった。
 社長の孫さん、これがまた長髪の童顔で、一同のなかで最も若くみえる。「ええ、社員は非常勤の者も入れて15人ほどですが、ほとんどが20代です。みんな自由に、のびのびやってます」と。
 この孫さんが始めた「日本ソフトバンク」とは、どんな会社なのか。一口にいえば、パソコン用ソフトウエアの卸問屋である。出版業界でいうなら東販や日販にあたる会社である。
 孫さんによると、現在、パソコンを扱っている小売店は全国に約干店あるが、そのうち150店がすでに、このソフトバンクに加盟している。しかも年内には加盟店を500店にふやす予定だとか。  一方、ソフトメーカーは全国に100ぐらいあるが、主だったメーカーはほとんど、このソフトバンクとの取引を約束しているという。
 これまで業界には組織的なソフトウエアの流通機構といったものはなかった。小売店が直接メーカーから買い入れているために一店で扱う種類も少なく、特定の機種にしか通用しないと言う。一つのメーカーに偏る、などの問題もあった。だからユーザーは小売店を何軒も回って探したり、やむなくメーカーに特別発注したりするケースも多かった。
 いま、商品化されているソフトの種類は、出納管理、採算分析、在庫管理、給与計算システムといったビジネスものと、遊びやゲームを楽しむホビーものを合わせ、2500種とも3000種ともいわれている。が、一般に知られているのは4〜500種どまり。さらに会社、商店などで利用しているのは、そのほんの一部という。大手メーカーのハードだけがどんどん売れても、利用法の普及が極端に遅れていたため宝の持ち腐れになっていたわけだ。
 こうしたユーザーや業界の要望にすばやく目をつけ、日本のソフトウエア流通分野の大半を握ろうとしているのが、この24歳の青年なのである。」

 これはビジネスを始めてから半年ほど経ったころの記事です、年商36億円という見出しは、当時の月商3億円から類推した数字と思われますが、実際、結果はそうなったわけです。
 さて、こうして大きな売上を達成した青年ならば、ここらで一休み!となりがちですが、青年はさっそく次の仕事、仕入れルートの開拓に取りかかるのです。
 しかし、またもやその型破り的な押しの言葉で、ついに「変人」だと思われてしまうのです。

(連載・第十六回完 以下次回につづく)

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執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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