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あなたはビルゲイツの試験に受かるか?
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その36:気を利かす脳のフライイング
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 突然ですが、今、自由に使える1億円を手渡されてその場で何に使うか聞かれたとしたら、あなたはどう答えますか。あまりにも突飛で、またあまりにも日常離れした金額と思われ、返事に窮するというのが、ごく一般的な反応かもしれません。
 国税局の統計によると、たとえば日本で40歳前後のサラリーマンにおける税引き後の、年間平均手取り額が500万円ほどになるようですが、40歳から多少給与が増えていくにせよ、この1億円という金額は、飲まず食わず貯めて60歳定年までのあと20年ほどもかかる金額です。

 さて、なぜこんな話を持ち出したかといいますと、まず数字だけではその金額の大きさを身近に実感できないというのが1つの理由で、さらにこの延長として1兆円という額ともなりますと、その先の給与の増減などは誤差の範囲となってしまい、単純に計算しても飲まず食わずの日々に万の単位が付いてしまう20万年となります。その上さらに5兆円ともなりますと、100万年という人類誕生から今日までという歴史レベルの時間の話になってしまいます。
 この5兆円の見方を変えてみますと、りっぱな新築5000万円の一軒家10万軒分に相当し、1世帯2〜4人の家族とすれば、20〜40万人も住める、りっぱな中堅都市規模までもできあがる計算になります。

 創業以来30年あまりマイクロソフトの陣頭指揮を取ってきたビル・ゲイツが、いよいよ今月(2008年7月)第一線を退き、自分と妻とで運営している「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」に対する本格的な慈善事業活動を始めましたが、この財団の今日現在の基金は約4兆円で、その大半は彼自身の寄付によるものです。
 そこには、2年前に発表されたウォーレン・バフェット氏の寄付、300億ドル(当時のレートで3兆5000億円)の一部が含まれていますが、さらにその残り大部分が今後段階的に加わって行きますので、それだけでも将来的には7兆円以上の規模になるようです。
 両氏ともに、その生涯で最終的に自分の資産の95%をこの基金に寄贈する意向を示しており、今後、彼らの資産の増加とさらに他からの応援基金なども加われば、さらに増える可能性もあります。いずれにしても今回のビル・ゲイツの引退と彼が本格的な慈善事業を開始したこの機会に、その「志」を実感していただこうというのが2つ目の理由です。

ジョン・ロックフェラー アンドリュー・カーネギー

 過去の寄付の例を見ても、あの石油王であるジョン・ロックフェラーですら5億3000万ドル(現在の貨幣価値では約72億ドルの8000億円)、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーでも3億5000万ドル(現在の貨幣価値では約66億ドルの7260億円)でしかありませんので、ビルゲイツ(52歳)とバフェット(77歳)両氏の寄贈額はケタ違いであることがよくわかると思います。
 ちなみに、トヨタ財団や京セラの稲盛財団など、日本における助成財団のトップ20の総資産額は約6000億円ほどです。

ウォーレン・バフェット

 このウォーレン・バフェット氏とは、米投資会社バークシャー・ハサウェーの会長職にあって、本年2008年のフォーブス誌発表による資産家世界長者番付では、1995年以来連続で13年間君臨してきたビル・ゲイツを抜いて第一位になった人で、氏は「社会的成功の要因が親から相続した遺産によるものではなく、個人の実力に起因する社会をつくることにより経済成長を促進する点で遺産税は非常に重大な役割を果たす。遺産税をなくすなどということは2020年のオリンピックチームを2000年のオリンピック金メダリストの長男からそのまま選ぶようなものである」と、ブッシュ政権の減税策の1つである相続税撤廃案に対して、まっこうから反対しました。
 そして「自分の子供たちにゲイツ財団への寄付について話をしたら、彼らは大変喜んでくれた。彼らは相続財産に関する私の見解を理解し、共感してくれている。私は、機会は平等であるべきだと考えている。彼らは私の子供だからという理由だけで、社会における私の地位を引き継ぐべきではない」と、大富豪の子供たちが額に汗もしなく何の努力をしなくても、相続税を払わないまま大金を受け継ぐなどということは、明らかに世の中の子供たちへの公平性を欠くものだという見解を示しています。

 そして先ごろ来日したビル・ゲイツも朝日新聞のインタビューでこんなことを言っています。
子供が自分の力とは関係なく、大きな財産を親から手にするのは、本人たちにも社会にとってもいいことじゃないと思う。僕の母や父は、寄付を通じて幸運に恵まれない人を助ける大切さを教えてくれた。だからマイクロソフトで幸運にも成功して稼いできたお金は、最善の方法で社会に還元すべきだと思っていた。1994年に今の財団の雛形を作ったとき、50歳代になったら、財産の95%を慈善活動に寄付し、最貧層の病気や教育の問題など、仕事をするのと同じように世界中を飛び回ってそれに専念したいと、ずっと思ってきたんだ。だから3年ほど前に会社の後継者スティーブ・バルマーに打ち明けて取締役会で話し、2年前に引退を公表したんだ。グーグルなどの競争相手との戦いをやめ、慈善活動に軸足を移すことに、寂しくはないかって? 寂しさと無関係な人間がいるとしたら、それが僕だよ。だってほとんどの人が好きな仕事に巡り合うことができないのに、僕にはそれが2つあって、それらを通じてインパクトを社会に与えられるんだから。これまでほとんどお金が投じられてこなかった分野の慈善活動に取り組むことで、ほかの社会貢献活動家たちや、多くの政府にも行動を促したいと思っているんだ」と。

 2年前の発表では「我々が取り組んでいる問題を今世紀中にめざましく進展させるため、妻と私の死後50年以内に財団の資産は全額寄付し、活動を終える」と、同基金の存続期間まで限定しています。
人種を超えて慈善活動中
 1994年以来、この基金からすでに1兆3500億円ほどの寄付金が慈善活動に使われており、この事実や発表宣言を着実に有言実行しようとしているビル・ゲイツを見て、「彼の志と財団資金の運用実績は素晴らしい」との印象を語ったバフェット氏は、自分自身の基金を設立することもなく、また政府を信用して無駄に、あるいは何に使われるかわからない相続税支払いの道を選ぶよりも、一番有効に基金を運営し使ってくれそうなビル・ゲイツの志と活動のほうに意義を見い出した、のだと思います。

 前述の具体例で示した5兆円という金額、実はそれ以上のお金が、世界をまたにかけ、使途の明確な形で、直接「世のため人のため」確実に使われていくということです。ともすると創業当初の印象・「ぱくり屋」ではないのかといった残像や、あるいはその後のマイクロソフトの市場寡占から受ける「独占的」という印象が強くて、これまであまりビル・ゲイツに好感を持っていなかった方たちも、この本物の志や本格的に新たな分野へのスタートを切った彼の行動に接することによって、その心象も変わってくるのではないでしょうか。

 今後、マイクロソフト社に対しては非常勤の会長として、ビル・ゲイツは週1回程度の出勤はすると思いますが、先の設問23の中でもコメントしましたようにパズル好きな彼のことですから、その余暇に考えたさらに新しい面接試験の問題を披露してくれることを期待したいと思います。

 それでは彼の今回の新しい門出に際し、その前置きはこれくらいにして、この辺で今号の設問に入りますが、その解説をするに当たり次の図をみてください。
 まず、右目を閉じて左目だけで、右の黒地のなかにある白い丸を、その上から画面に顔を近づけたり遠ざけたりして見てください。或る地点で左の黒い丸が消えると思います。この現象を覚えておいてください。では解説にはいります。


問題 設問36 鏡が上下でなく左右を逆転させるのはなぜか。

ベルサイユ宮殿の鏡の回廊。当時は数十センチ四方の鏡が1千万円以上もする非常に高価なもので、この回廊の鏡だけで現在価格の数百億円です。

 この設問に対して、最初、皆さんの反応はどうでしたか。いきなり回答に向おうとしましたか。それとも「そう言えばそうだな」という感じでしたか。あるいは「何かどこか変だぞ」との印象でしたか。

 普段、見慣れている、ボールを右手で投げる人、あるいはバットやテニスラケットで右打ちをする人、または右手で箸を持って食べる人の、たまたま鏡やドアガラス、あるいは窓ガラスに映っている姿を皆さんが見て、たしかにその像が左手で動作しているその姿に対して、面白おかしな印象を受けた経験がおありだと思います。
 この「おかしな」という印象は、彼らは右利きであることをあなたが認識しているからであり、それにもかかわらず、そこには左手で動作をしている彼らの姿を見せられるからです。
 これには脳の働きと密接な関係がありますが、実際、彼らが右利きであることをまったく知らない人が、そこに映っている姿を見ても、この「おかしな」という印象は受けないでしょうし、もしも鏡があるということに気づいていないとしたら、本当に左で動作していると思ってしまうはずです。

 そこで改めて“鏡が上下でなく左右を逆転させるのはなぜか”などと質問をされると、逆転の肯定派も否定派も、両者、考え込んでしまう人が多いのではないかと思われます。
 というのも、“たしかに映っている像は左右が逆になる”と、その逆転を肯定する人は、設問の内容そのものずばり、「なぜ逆転が左右だけで上下はないのか」との疑問が、また一方、“それは左右が逆転しているように見えているだけだ”と、鏡の左右像の逆転を否定する人にとっても、「それならばなぜ、上下も逆転しているように見えているだけだ、と言えないのか」との疑問が出てくるからです。

 それでは一番基本的な事実がよくわかる例として、文字を鏡に映すことから始めてみます。対象は新聞紙として、図Aはその一面に印刷された横文字「ビル・ゲイツの慈善活動」と縦文字「ビル・ゲイツ」と考えてください。
 これらの文字はまだ印刷したばかりのインクが乾ききらない状態で、この新聞紙の一面を鏡に映そうと思ったときに誤って鏡に押し付けてしまったとします。すると、鏡の表面には図A―1のようにインクの跡が残りますが、この跡は鏡に映った状態そのままを反映している鏡像、ということは容易におわかりいただけるものと思います。
 したがって鏡に残ったインクの跡、つまり鏡像が、図A―2や図A―3に反映されているような、文字やその文字列を上下、あるいは左右に反転した形にはなり得ないこともわかると思います。

 次に対象を両面にペンキを塗った十文字板とした場合、図B−1のような跡が残ること、さらに対象が人間のような立体的なものになった場合も図B−2のようになりますので、対象と鏡像との間では、右にあるものは右に、上にあるものは上にと、左右、上下いずれも逆転していないこともわかります。

 そうするとおそらく、次のような反論が出てくると思います。天井に貼った大きな鏡、あるいは床に敷いた鏡ならば、すべてのものの上下を逆転するではないか、と。
その通りです。そこで逆転という意味を考えてみる必要があります。ここで言っている逆転という現象を一番よく検証できるのは、方向を示す矢印を使ってみることです。
 図Cの3つのケースのうち最初の2つは、右を向いている矢印は右を、上を向いている矢印は上を向いて映っています。ところが、図C−3のように、鏡の方向へと向けた矢印は、反対に鏡からこちらの方向へと向かう矢印に、つまり反転した逆転の形で映っていることがわかります。鏡に平行な方向は逆転されず、鏡はその垂直方向である内側方向と外側方向、つまり鏡の前にあるものの前後を逆転するわけです。

 それではなぜ、「鏡が上下でなく左右を逆転させるのはなぜか」のような設問が出てくるのでしょうか。それは前述の「おかしな印象」のところでもコメントしたように、鏡やドアガラス、あるいは窓ガラスに映っている人間の行動場面を見ることに起因するところが大なのです。
 左右が著しく非対称な文字などではあり得ないことが、ほとんど左右対称に見える体を持つ人間になると、しかもそれが動いているとなると、あたかも鏡の奥にその人の実像があるがごとく、脳が気を利かしてフライイングを犯してしまうからです。

 この脳が気を利かすわかり易い例として、この解説に入る直前に白い丸と黒い丸の図をあらかじめ見ておいていただいたわけですが、画面に顔を近づけたり遠ざけたりしている或る地点で、左の黒い丸が消えるのは眼球にある盲点のせいです。
 動物は、視界にあるものを眼球の中にある網膜に映して見ているわけですが、その映像信号を脳に送るための視神経の束が網膜の一点の穴から出て脳につながっています。
 したがってこの穴に当たる部分には網膜がないため、そこに映る像は見えないことになり、盲点と言っているわけです。

 ところが、今度は先の図の左右を置き換えて、同様に右目を閉じて左目だけで、右の黒い丸を、画面に顔を近づけたり遠ざけたりして見てください。
 黒地の中にある左の白い丸はどうなるでしょうか。或る地点で、今度は黒くなると思います。
 本来ならば、そこは見えないところですから、そのままでもいいはずです。これは脳が一生懸命に気を利かし、周りが黒地なのでそこは黒だろうと、欠けているところを補おうとするけなげな努力から生まれる結果なのです。このことはそこが黒地ではなく、赤地であろうと緑地であろうと、すべて地の色になってしまうことからも、はっきりとわかります。
 画面上ではわかりにくければ、自分で紙の上に作って試してもらえれば、納得されるでしょう。地の中の丸の部分をかなり大きくしても、あるいは丸ではなく、三角や四角、さらに人物像など形の違うもの何であっても同様です。
 視覚による錯覚は多々ありますが、それらは欠けているところや不自然に見えるようなところを一生懸命に補正し、正しく理解しようと努力しているすべては脳のなせる技なのです。
 この意味で、脳とはすばらしくよくできているということが言えます。また、普段はこのような盲点に気づきませんが、2つの目でもってそれを打ち消しているわけです。物の遠近を見分けるために目が2つあるだけではないところも、よくできていると思いませんか。

 さて、当設問の背景ですが、普段見過ごしてしまいがちなことにも、常に疑問を持ち注意を払って見ているかどうか、またそれらのことにつき出題者側を納得させる明快な説明ができるかどうかをみよう、というものです。

 それでは解答です。


正解 正解36 鏡は、それに平行な物体の左右上下を逆転するのではなく、鏡に垂直な方向である鏡の奥側と外側、つまりその前にあるものの前後を逆転する。

 それでは、次の問題をやってみてください。

問題 設問37 正面に2つの扉があり、一方は面接室で、もう一方は出口になっている。扉の脇に相談をできる人がいるが、この人は当社の人間か、競合会社の人かわからない。当社の者なら必ず本当のことを言うが、他社の人なら必ず嘘を言う。どちらが面接室に向う扉かを判断するために、この相談役に、1回だけ質問してもかまわない。何と尋ねればいいか。


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 ビル・ゲイツの出題問題に関しては、HOW WOULD YOU MOVE MOUNT FUJI ? (Microsoft’s cult of the puzzle. How the world’s smartest companies select the most creative thinkers. )By William Poundstore の原書や、筆者の海外における友人たちの情報を参考にしています。
 また連絡先不明などにより、直接ご連絡の取れなかった一部メディア媒体からの引用画像につきましては、当欄上をお借りしてお許しをいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

執筆者紹介


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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