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その17 あなた、頭がおかしいんではないですか

 販売先の上新電機との独占的販売契約に成功した孫青年はすぐに次の仕事、仕入れルートの開拓に取りかかります。狙いを定めた先は、80年代の初期、ゲームソフト大手で200種類以上のソフト作りで、市場の90%近くのシェアをにぎっていた>ハドソン社でした。
 この会社は1973年、工藤裕司と工藤浩兄弟が、出身地・北海道で立ち上げ、当初はアマチュア無線機器の販売をしていましたが、1970年代後半からマイコン本体の販売とソフトの制作・販売を開始していました。 
 そして81年の秋、今の六本木ヒルズ近くのマンションの一室にあるハドソン東京事務所にいた当時27歳の工藤浩・専務を、当時24歳の孫青年が訪ねます。

 専務は面会前、札幌の本社にいる兄の裕司社長から、“大阪の展示会で知り合った孫という人が訪ねてくるから会ってやってくれ。ソフトの流通をやりたいと言っている”と、事前に連絡を受け取っていたものの、専務はさして重要な用件とは思っていませんでした。
 ところがその初対面で、いきなりこの青年が、“日本一のソフト流通をやろうと思っています。そのためにハドソンの商品を独占的に販売させてください”と切り出したのです。
 専務はそのときの面会を一生忘れることができないと、取材を受けたPRESIDENT誌の2010年12月13日号に、次のように語っています。

大風呂敷、この人どこかおかしいんじゃないか

 「第一印象は“何を偉そうに言っているんだ、このお兄ちゃんは”でした。言うことすべてがおかしいんですよ。だって、会うなり“僕は天才です”とか“ソフトウェア流通網で日本、いや世界を制覇したい。だから、御社のソフトをエクスクルーシブ(独占契約)で取り扱わせてほしい”とか。
 ものを卸してもらう立場なのに、ひどい大風呂敷で、一般常識から外れた話ばかり。
こちらは幸いにも商売繁盛で大忙しでしたから、適当に聞き流して、追い返そうと思っていました」と。

 当時、ハドソン社はすでに全国に自前の流通・販売ネットワークを築き、事業は順風満帆で、それをわざわざ既存の業者を切り捨て、名前すら聞いたこともない創業したばかりの若輩会社に乗り換えてほしい、と言うわけですから、専務は心中、この人どこかおかしいんじゃないか、と思ってしまったそうです。そもそも出だしから、青年は招かれざる客だったわけですから。

 そこで最終的には断ればいいと思いながらも、専務は試しに“日本一のソフトの流通と言うけれども、一体何ができるの?”と、ほんの軽い気持ちで聞くと、青年は堰を切ったように自説をとうとうと語り始め、「コンピューターがいかに社会を変えるか」、「その時のソフトの重要性」、「だが日本ではソフト流通などまったくの未整備な現状」などなど、孫青年は昼過ぎから夜の8時まで、ほとんど1人で喋りつづけたとのこと。
 そして口のうまい人には気をつけなければ、という警戒心を持ちながらも、とうとう専務は夜に別れるときに、この人を信じてみようと思うまでになったそうです。なぜそう感じたか。記事は続きます。

「我々にとって、既存の業者を切って新米の会社に乗り換えるなど、こちらには良いことなど、まったく何もないんだよね。でも、たぶん……フェロモンにやられて、吸い込まれたとしか言いようがないんです。真剣に自分の夢を語っている顔がいいんですよ。何だか引きつけられましてね。
 周囲からは、口汚くヤツは詐欺師だとか、誑(たぶら)かされている、と罵る声もありましたが、私には思いもつかない世界規模の大ボラを語る彼の強い信念に賭けてみたくなったのだと思う。あの目を見たら、これに賭けなきゃ、ビジネスをやっている意味がないって」と。

豆腐は一丁、二丁と数える

 当連載その7で掲載した記事を思い出してください。大学生の孫青年が「多国語間音声翻訳機」の試作機をシャープへ売りこみ、見事成功したときに、あとで佐々木専務が語った次の言葉を。

「孫くんは風呂敷に包んだ装置を大事そうに抱えていました。それを私の目の前で広げて、是非商品化したいと、説明に一生懸命だった。試作機だったが、そこで使われている技術は将来シャープの商品に応用できるかもしれないと感じながら聞いていた。
 しかし、未だに思い出すのは彼の目ですよね。今では先を見ようとする目になっていますが、そのときは人の心を見抜こう見抜こうとする目だった。だからこの人はやるぞ、と直感的に思ったんですね」と。

 工藤専務も佐々木専務も、期せずして同じポイント「青年の目」を取り上げています。青年の目に溢れる一途な情熱に、思わず引き込まれていった有り様がよく見えるようです。
 こうして急転直下、なんと面会一週間後、青年の元にハドソン社から「独占契約で取引をしてもよい」という返事がきたのです。工藤兄弟はそれまで良好な関係にあった取引先との関係を断ち切り、専務の3歳下で全く未知数の駆け出し青年にすべてを賭けたということです。

 確かに工藤専務が青年との初対面で、当初の印象を、“彼の言うことすべてがおかしいんです”と語っているように、その言動は一般常識からはずれています。しかしその型破り的な言動が再び起こるのです。
 以前、福岡での創業初日、孫青年が朝礼で2つ並べたミカン箱の上に立ち、アルバイトの2人を前にして“この会社は5年以内に、売上高100億円になる。10年以内に500億円、いずれは1兆円企業にする”と叫ぶと、2人はとてもこの青年を正気とは思えないとしてすぐに辞めてしまったという話を、当連載その15で紹介しましたが、同じことが、今度は独占契約が成ったあと、青年がハドソン本社のある札幌のソフト制作現場に工藤オーナーから招かれたときに起こります。

 工藤宅に数日間寝泊りしていたこのときのある朝、朝食に出たワカメと豆腐の味噌汁を前にして、青年はこう言ったのです。
"工藤さん、僕はいつか豆腐のような商売をしたいんですよ。豆腐は1丁(兆)、2丁(兆)と数えるでしょ。僕はそういう単位のお金をいつか動かせる商売をしたいんです" と。
 それを聞いた工藤専務は、またまた“一体、こいつは何を考えているんだ”と思ったとのことで、これは今を遡る35年以上も前、初めて事業に駆け出したばかりの青年の口から出た「兆」という言葉だということです。たとえ今日、誰が聞いたとしても、同じように思うはずです。
 しかも“彼は、あくまでも当然といった表情をしていた”と、そのあとで工藤専務は付け足していますから、とても尋常な青年とは思えなかったことでしょう。

 ところが今日、ソフトバンクの売上は9兆円にまで達しています。全く未知数の青年への工藤専務の賭けは、大当たりしたということです。
 この大当たりということで、ビジネスという観点からは少々横道に逸れるかもしれませんが、この2人を知る上での面白い話を、やはりそのPRESIDENT誌から抜粋して次に見てもらいます。

賭けにかったのは?

 「1982年初夏のある晩。ゲーム会社ハドソンの専務の工藤浩は、前年に創業したソフトバンク社長である孫の誘いに乗った。千代田区麹町にある工藤のマンション。工藤はポーカー初体験だったが、孫にレクチャーを受け、ゲームに没頭した。
 時計の針は、深夜1時をさそうとしていたが、誰もやめようとしない。もう何回目かもわからない白熱の勝負。5枚のカードが配られ、数枚を取り替えた孫が持ち金をすべて賭けた場面で、意を決したようにこう言い放った。
“僕はこの勝負、ソフトバンクを賭けるよ”
 手札がよくても悪くても、ポーカーフェースの孫。そのときの手札はフォーカードだった。この夜、ビギナーズラックでツキにツキまくる工藤にしてやられていた孫だが、この手札なら勝てる、と唾を飲み込み、今夜最高の手札と悟られぬよう、工藤のほうをちらりと見やる。
 対する工藤は、孫が紙製コースターに手書きしたポーカーの役の強弱の格付け表を覗き込んでから、また手札を確かめ、ぼそっとつぶやいた。
“ソフトバンクを賭けるって……。おまえの会社なんか赤字でちっぽけじゃないか”
そして、こう続けた。
“ここに書かれている役の強さは本当に本当だよね”
“はい、もちろん”
“わかった、こっちもハドソンを賭けよう”
 文字通り表情を変えないポーカーフェイスで、本音を覆い隠し、腹を探り合う心理戦。互いに弱い手を強い手に見せるハッタリに違いない、と互いの会社までを賭けた大一番の勝負。
 結果、勝ったのは、工藤だった。手札は、なんと、<A、10、J、Q、K>の最高の役ロイヤルストレートフラッシュ。工藤は今もたまに孫に会って、少し酔うと冗談めかして言うことがある。
“孫ちゃんにはポーカーの貸しがあるんだ。1兆2兆のソフトバンクの経営権、本当は俺にあるんだから”と。

ハドソン契約後、苦難の資金繰り

 さて、ハドソン社から前途明るい回答がきたものの、それには明確な条件が付いていました。ハドソンは翌年の1月15日までにそちらの倉庫にソフト数万本を納入する。その代わりに今年の12月末までに現金3000万円の払い込みが確認できること、というものでした。
 1ヶ月半あまり、氏は事業をやっていた父親やその関連先、また親戚宅などを頼み込んで回ります。そして何とか期限内に工面してその場は切り抜けたものの、やはり創業時、次々と押し寄せる資金調達の、誰しもが通らねばならぬ洗礼を受けることになります。

 このハドソン社との独占契約が新たな資金が必要となる、思わぬ波紋を呼ぶことになるのです。その1つは、前号で紹介した経営総合研究所。そこは500万円ずつの出資で会社設立の株を折半したところで、もともと企業財務の研修などをやってきたその筋の玄人集団です。いきなり資本金の何倍もの仕入れをする青年の素人的なやり方は、彼らにとって無謀としか映らず、次第に運営上の路線対立が表面化してくるのです。
 そこでハドソン社に相談した孫青年は、“いつか上場を考えているのだったら、今すぐにでも買い戻した方がいい。経営が良くなれば誰も株を返してくれない”との助言を受けます。すぐに経営総合研究所に掛け合うと、案の定、出資金の3倍、1,500万円という買い戻し価格を提示されたのでした。

 もう1つは、この時点で日本ソフトバンクに上新電機とCSKからそれぞれ4,500万円分の注文が来ていて、この商品の仕入れにも9,000万円が必要となっていたこと。もはや頼るは外部、つまり銀行からの融資しか道はありません。しかし創業まもない無名の会社に、合計1億5000万円という高額な資金を即融資する金融機関など、普通は考えられません。
 今度の相手は、大勢の人から大切なお金を預かっている査定の厳格な銀行。熱弁などではとても評価されないのです。やはりと言うか、“あなた、頭がおかしいんではないですか”と、今度は面と向って言われてしまいます。
 青年は語ります。

面と向かって言われた「あなた、頭がおかしいのでは」

 融資を金融機関にお願いするのは初めての経験でした。或る大手都市銀行では、“電話帳に載っていない職業などに融資はできない”と、あっさり門前払いです。日本での経験が少ない私は、銀行の担保主義にも疎かったのです。
 次に行ったのは第一勧業銀行の麹町支店で、今度は“私には何の担保もないし、ビジネスの経験もほとんどありません。もちろん借金の連帯保証人になってもらえる家族や友人もいません”と、正直に切り出しました。
 さらにつづけて、“ですから、返済の保証は、私が自分でやりますし、全責任をとるつもりです。ただし、優良企業に対する短期貸付けと同じプライムレートにしてください。そうでないと、おたくの銀行からの融資は断念します”と言ったんです。

 そしたら支店長から即座に“あなた、頭がおかしいんではないですか、そんな保証人もいない人に融資なんてできるわけがないでしょう”と、とんでもないという顔をされました。
 ダメかなと思っていると、その支店長は“ でも、何か説得材料になるものはないのですか”と聞くんですね。ホッとした私はすぐ“説得材料はないですが、もし将来のことを考えてくださるのなら、会社のやろうとしていることにきっと興味を持たれるはずです”と言ったんです。
 すると、“だれか、身元を照会できる相手がいますか”と。そこで“アメリカ時代に発明して翻訳機をシャープさんに売り込んだことがあります。そこの佐々木正さんならよく存じています”と答えておいたんです。

 あとで、電話連絡をしてくださった支店長の御器谷正之さんは、佐々木さんから“ぜひ融資してあげてほしい”との言葉をいただいたそうです。
 結局最終的に、融資審査表の査定項目で、私はマイナス15点でしたが、将来の見込みのところに、支店長が15点をつけてくれました。
 プラスマイナス0点なので、あとは支店長の判断にまかせるということになり、結局支店長が融資を決定してくれたんです。この融資のおかげで、ソフトバンクは本当に救われたと思いますね 】と。

 今、どんなに大きくなっている大企業でも、その出だしは1人、あるいはせいぜい2、3人で始めたものがほとんどです。そして創業当初受けた苦難の洗礼は資金繰りであったと、 今とは違ってエンジェル投資家とかクラウドファンディングなどのなかったころのすべての創業者が語るところです。
 このときの融資となる1億5000万円という金額は、銀行にとっての単なる信用貸しで収まる金額ではありません。この佐々木さんの存在がなかったら、今日のソフトバンクもなかったことになる転機であったわけですが、そのとき佐々木さんはどうしたのか。
 次に見ていきます。

(連載・第十七回完 以下次回につづく)

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執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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