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その2 人々に喜んでもらうことが一番

声を詰まらせた孫氏

 第一回目で見ていただいた極貧だった幼少時代、両親は生活を支えるために外に働きに出ている。だからお守りは、いつもかわいがってくれたおばあちゃん。最初は大好きだったおばあちゃんが、次第におばあちゃんイコールキムチ、そして韓国イコールいじめのイメージに繋がっていき、そのうちおばあさんを大嫌いだと言ってしまうのです。
 そしてソフトバンク創立30周年記念式典の壇上で、そのおばあちゃんの話に及んだときに声を詰まらせてしまいます。

氏は語ります。

 【おばあちゃんを大嫌いと言ってしまった。しかしずっと後に、自分の至らなさに気づき、高校性1年でアメリカ留学前に、おばあちゃんを韓国旅行へと誘ったのです。「なして韓国行く気になったと」とおばあちゃん。
 この世には国籍とか人種で悩んでいる人がたくさんいる。その中で、孫正義の名前でりっぱな事業家になり、みんな人間は一緒だと証明したい。その前に一度、自分の至らなさから忌み嫌ってきた戦後の国を一緒に見てきたい、と。

 おばあちゃんが親戚縁者から着古したつぎはぎだらけ衣類をかき集めて韓国へのお土産にして、電気も来ていない村の子供たちに渡すと、みんなロウソクの中で満面の笑みでありがとうと大喜びだった。
 おばあちゃんは言っていた。
みんな人様のお陰だと。今までどんな苦しいときあっても、どんなに辛いときがあっても誰かが助けてくれた。だから決して恨んではいかんばい、人様のお陰やけん。ボロ切れでも人が喜んでくれたらそれが一番やけん、と。

 会社を創業してまもなく、肝硬変でお医者さんから死の宣告を受けたとき、おばあちゃんの言っていたことがつくづくよ~くわかるようになった。
 リンゴを1個もらった、どこか知らない国のどろんこ顔の女の子からありがとうと言われる、たった1人でもいい、人知れずの喜んでもらえれば、そのときが最も幸せな気持ちになれるときだと心から思うようになった】と。

 孫氏は、記念式典の後でのインタビューで「30年に1回のことだから、自分の芯となっていることをさらけださないと、本意が伝わらないので、この話をした」と言っています。

日本で公の価値ある受賞

 孫氏がやはり壇上で声を詰まらせたときがもう一度あります。それは優れた経営手腕で経済界に新風を送り、社会的、文化的な活動を通じて国民生活の発展・向上に貢献した経営者に毎日新聞社が年に1~2名に贈る「毎日経済人賞」の1995年の受賞式典壇上で挨拶したときです。

 それまでの受賞者、キヤノンの御手洗毅会長、富士通の小林大祐会長、TDKの素野福次郎社長、日本警備保障の飯田亮会長、アシックスの鬼塚喜八郎社長、アサヒビールの樋口廣太郎社長、ヤマト運輸の小倉昌男会長、ソニーの大賀典雄社長、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長、ベネッセの福武總一郎社長など、日本の経営者を代表する蒼々たる顔ぶれの中で、今は「孫」という名で堂々と受けとる日本での公の受賞でした。

 民族や人種という何かにつけ、心の底のどこかにずっとひっかかってきていた暗いものが、「やっと、やっと日本で認められた」というその一瞬に、つい、こみ上げてくるものを抑えきれなかったのだと思われます。
 1999年、フォーチュン誌と肩を並べるアメリカの経済誌・フォーブスの表紙に日本人として初めて顔写真が載せられ、つづいて2000年には、同誌の「ビジネスマン・オブ・ザ・イヤー」として最優秀企業家にも選ばれ、もはや世界の孫氏として評価されたのですが、そのときには声を詰まらせるような場面は一度もありませんでした。
 やはり孫氏にとって日本で評価された公の受賞のほうが、はるかに感慨深いものであったということです。

 「孫」という名前での受賞。その名前による日本国籍取得に執着した一部には、中国本土はもちろん、今日の台湾の全国民からも尊敬されている孫文、また今だに読まれている孫子など、歴史にも深く刻まれた「孫」と付く名に、どこか誇りを感じていたということがあるのかもしれません。
 では次に、名前のほうの「正義」です。前回、「損しても正義」の言葉を見ていただきましたが、それについては、後になってこんなことを言っています。

私の名は正義

 【 世の中で、いろいろな批判があることはよくわかっています。でも、心の次元が卑しく人間としての品性に乏しい人が、自分の品性の物差しで、きっとあの人も卑しいに違いない、卑しい品性の持ち主だろうと勝手に解釈してしまうケースをよく見かけますが、この場合もそんな気がします。そのような人は後で恥ずかしい思いをする筈です。
 なぜなら、私には、そういう卑しい心がさらさらないからです。それは歴史が証明してくれます。

 私は、どういう角度で見ても実態として、道の真中を正々堂々と歩いてきました。これからも王道を歩みたい。決して変化球など使うつもりはありません。
 親がつけた名前は正義。この名前と付き合ってきていると、やはり、自分の人生のテーマとして曲ったことはできないのです。そして、遥か高い次元の満足というものは、お金ではなく、志のところにあると思います。

 私はたった一人でも、世界の果てにいるような所の小さな女の子が、われわれの提供したサービスによって、ニコっと喜んでくれる。そういうことが、もしあれば、私はもう、それだけで幸せだと、それに勝る幸せはないと、今もそう思っています 】と。

 世の中で散見する批判や批評、また評論家やコメンテーターには免許という国家の与える正式な公の資格のようなものがありません。
 「楽な椅子に座って他人の批評ばかりする者もいるだろう。しかし、勇敢な人は闘って、ボロボロになり、何度も何度も失敗し、それでも恐れず思い切った生き方をして、大勢の人々に喜んでもらえ、役立つ偉大な仕事をするものだ」という故ルーズベルト大統領の言葉を思い出しました。

 さて、孫氏のその後の活躍を追っていくと、そのエネルギーの原点は、少年時代に受けた国籍、人種差別の苦い体験がベースになっていて、それが「りっぱな事業家になって、孫正義の名前でみんな人間は一緒だと証明したい。そしてたった1人でもいい、人知れずの貢献ができれば、そのときが最も幸せな気持ちになれるときだと心から思うようになった」の言葉に集約されてきているように思われます。

 「道の真中を正々堂々と歩き、1人でもいい、人知れず喜んでもらえれば、そのときが最も幸せなとき」という孫氏の言葉、そして「勇敢な人は闘って、ボロボロになり、何度も何度も失敗し、それでも恐れず思い切った生き方をする」の大統領の言葉。
 ちょうどいい機会なので、その背景にあった「多くの人々を助け、役立つ何かでっかいことを成したい」という孫氏の想いがよくわかる2010年3月29日の「志を語る」のスピーチから、その要点を抜粋して次にお届けします。

孫氏から恩恵を受けている日本国民

・ 改めて「志」を考える
 【 時は2000年の後半でした。ITバブルがはじけて、ソフトバンクの株価が約100分の1になってしまったとき。当然のことながら、株主総会は非難の嵐で、ペテン師だ、バブル男だ、と。もっと直截的に、「犯罪者」「ヤマ師」「嘘つき」「泥棒」などと言う人もいました。資産を100分の1にされたら、腹が立たないわけがありません。その場で、僕は一生懸命に説明しました。ソフトバンクは縮小も撤退もしない、ネット事業にこれからも社運をかけて挑んでいきます。僕の志は、一切揺るぎのないものなのです、と誠心誠意、自分の志を述べさせていただきました。すると徐々に空気が変わり始めたのです。そして総会の後半に次のように発言したおばあさんのことを一生忘れられません。

「私は、主人が何十年も勤め上げて残してくれた退職金のすべてをソフトバンク株に投入しました。1000万円分です。それは孫さん、あなたの夢を信じたからです。今その全財産1000万が10万円になっちゃったんです。だけど今日、あなたの話を直接聞いて、私は心から思いました。私は、あなたの夢を信じています。どうか頑張ってください」と。

 今もおばあさんの姿が頭に焼きついて離れません。株主の皆さんの3分の1以上が涙を浮かべ、ハンカチを口もとに当てていたことを覚えています。
総会のあと改めて考えました。ワシは何のために生まれてきたのか、ワシゃなんのために志を立てたのか、志ってなんだったんだと。そして思いを強くしました。それはデジタル情報革命だろう。この革命のために人生を捧げてるわけだろう、ここで怯むわけにはいかんと。

 世の中を見渡せば、日本は世界で2番目のGDPの国なのに、先進国の中でインターネットは世界一遅い。世界一料金が高い。ここは一つ、日本のインターネット業界全部のために、日本のインターネットユーザー全部のために、この高い高い、世界一遅いってヤツを、世界一安くしてやろう、世界一の高速にしてやろう、と。すると、うちの役員が言いました。

「ライバル会社や他社のインターネットユーザーもいるわけだから、ヤフージャパンのユーザーだけ安くしましょうか?」と。
 バカモン!そんなこまい考えでどうするんだ!日本国民が最終的に全部インターネットユーザーになって、全員がいつか、いつか、喜んでくれりゃあそれでええじゃないか。
 「でも社長、我々がやって、誰の努力でそうなったかなんて、後の人は忘れますよ」と。
 バカモン!それでええじゃないか。名もいらん。金もいらん。地位も名誉もいらん。そんな厄介な男でないと、大事は成せない。そのくらいの魂がないと、ひきちぎれるほどの情熱がないと、革命なんてできゃせん。そんな男は打ち負かそうにも負かせられないわけです 】と。

・ 世界一速い、世界一安い情報革命に挑む

 こうして不退転の意気で挑んだのが、インターネットの通信速度と料金体系の抜本的な改革でした。氏は続けて語ります。

 【 当時、うちはNTTさんが出してきた料金体系の5分の1で、8 割引です。そして世界最高速。NTTの4倍の速度。これを発表したんです。
 すると一晩で、申し込みが、100万件来た。が、そんなに用意してなかった。機材を。そんなに来ると思わんかった。そのとき、お客さんを半年以上待たせてしまってむちゃくちゃ言われました。詐欺師! どうしてくれるんだ! と。

 しかしお客さんの申し込みがそんなに来たのにNTTさんは回線をつながしてくれない。面倒くさいいろいろな手続きを言う。だからもう総務省に乗り込んでいって、担当課長にガーッと机叩いて訴えた。独占的にメタル回線を持って、独占的に局舎を持って、これはもうあきらかに独禁法違反で、あきらかに手続きがおかしい、と。

 もしもダメなら、100万人のお客様に申し訳が立たない。だからワシゃ灯油をかぶって自分で火つけてここで死にます!と言った。すると先方が 「ちょっと待ってくれ! ここでするのだけはやめてくれ! 」と言う。
 ここでなきゃどっかでやるならいいってことか。そういう問題じゃないだろう。あんたの責任をここで逃げるんじゃないと、ガンガン交渉して、結果的には、その場で“何をすればいいのか?”ということになった。
 簡単だ、許認可の権利を持ってるあんたのところから電話1本いれてくれればいい。ただ単に 「フェアにしなさい」。その一言でいい。その一言だけNTTの社長に電話を入れてくれ、と。

 結果、電話してくれました。そしてNTTの社長に直接会いに行ったんです。ブロードバンドを始めてください。ADSLを始めてください。NTTとしてやってください、と。そしたら社長は 「いや、NTTとしてはISDNをやると決めてるんだ」と。
 ISDN。もうとんでもない話です。日本だけなんです、世界でそんなことをやってるのは。これが原因で料金が高い。またこれが原因で遅いんです。そういう状況で聞いてくれない。聞いてくれないならしゃあない。ワシがやるしかない!ということで、そこで決意してやったのが、ヤフーBBです。

 ですからこのヤフーBBというのは、我々のゼニ儲けだとか、我々の何か名誉欲とか、そういうことで始まったんじゃないんです。命を賭けて、命の叫びとしてです。
 なんとかなるもんです。高い志があれば。まさに我々にとっては桶狭間の戦いだった。
 小さな我々の会社が、日本一大きな会社に、しかもバブルがはじけたあとに。最悪我が社が押しつぶされたとしても、その結果、日本のブロードバンドの夜明けが来れば、それはそれで目的は達成です。

 日本の人々から見れば、我々が結果捨石になったとしても、幕末の尊皇攘夷の革命の志士のように、途中で殺されても維新が起きれば、それはそれで立派に事は成せりなんです。僕はそう思ったんですね。結果、日本は世界一安くなった。世界一の速度が出たんです。
 だから、世の中が悪いとか、政治家が悪いとか、景気が悪いとか、愚痴を言ったら、自分の器を小さくする。愚痴なんか言うとっても、なんも世の中ようならん。愚痴を言う暇があったら、自分ひとりの命でもいいから、世のため人のために命を投げ捨てる覚悟があれば、波紋は起きはじめるということです。僕はそう思うんです 】と。

次回は再び氏の幼少期に戻って、そこに垣間見える今日の飛躍に結びつく氏の原点を見ていきたいと思います。

(連載・第二回完 以下次回につづく)


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
  • 始まったAI激変時代と地頭力
  • 始まったネット激変時代と成功する経営者像
  • どう変わる インターネット社会 あなたやお子さんの職場は大丈夫か
  • ビジネスの「刑事コロンボ」版。270各社成功発展のきっかけ遡及解明
  • 不況や国際競争力にも強い企業になるには。その秘密が満載の中小企業の事例がいっぱい
  • 成功する人・しない人を分けるもの、分けるとき。
  • もったいない、あなたの脳はもっと活躍できる!
  • こうすれば、あなたもその道の第一人者になれる!
  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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