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その22 孫の二乗の兵法を立案

 孫青年が病床で読んだのは、歴史書や中国の古典など4000冊余りの書籍。その歴史書の中で、特に織田信長と坂本龍馬の2人からは多くを学んだと言っています。信長は事業家に近いものを持ち、龍馬は事業家そのもの、秀吉は事業家というより商人、家康は政治家という感覚で、青年は受け止めていました。
 信長からは戦略眼とビジョン、龍馬からは病の克服という生きる活力と共に、大きな歴史の流れをとらえる判断力と大局観、そして自分を捨てて事を進める使命感など、戦略的な事業家になくてはならないものを学んだとしています。
 これらのことは、ビジネス上及びビジネスリーダーに不可欠なものとして、孫青年の血となり肉となり、今日のソフトバンクを築く土台となっていることがわかります。

孫子の兵法

 この読書において、もう1つ、青年に大きなインパクトを与えた書物があります。それは、青年がビジネスを遂行していく上で、青年の考え方や行動の重要な礎石ともなっている中国の古典、「孫子の兵法」でした。
 今から2500年以上も前の紀元前515年ころ、日本で言えばちょうど縄文時代の末期というそんな大昔に、竹簡にびっしりと書かれた書が、なぜ現代まで読み継がれているのか、そこには現代のビジネスやマネジメントにも通じ、あらゆる面で参考になるメッセージが多々書き込まれていたからです。

 青年は、その兵法書の一部に自分の意を反映する5文字ずつ2行を新たに加えた「ビジネスの法則」を、療養中のベッドの上で立案しました。ときに28歳。
 以降、青年が事業を展開していく過程でそれを礎にし、新規事業に挑むときや新しいブロジェクトを始めるとき、あるいは経営の岐路に立ったときや壁にぶつかったとき、さらには企業の合併・買収や中長期事業戦略を検討する際、その都度、この法則に則っているかどうか、自問自答を繰り返しながら判断と決断に活用してきたと言っています。 
 では青年の語るその書のエッセンスを、以下に見ていきます。

孫の二乗の兵法を立案

【 私は孫子の兵法に関わる一つの結論として、孫子の孫”と自分の姓を掛け合わせ、「孫の二乗の兵法」と命名した次の25文字から成るビジネスの法則を創り上げました。

   一流攻守群
   道天地将法
   智信仁勇厳
   頂情略七闘
   風林火山海

 初めの1行、5文字「一流攻守群」は私の創作です。その最初の文字「一」は、私の最も基本的な考え方で、ナンバーワン主義の思想を表現したものです。ビジネスでは、一番以外はすべて敗北に等しいと思っています。

 だから、一番になれない事業には、最初から手をつけない。負ける戦いはせず、必勝の構えをつくる。ビジネスの現場における闘いは最後の仕上げであって、実際に火蓋が切られる前に、戦いの9割方は終わっていなければなりません。

 孫子の「善く戦う者は不敗の地に立ち・・・勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め」は、私がもっとも共感し、重要だと思う部分です。

 次の文字「流」は、時の流れに基本的にはさからわないということ。また、「攻守」を掲げた理由ですが、ベンチャー企業は攻めに強く、守りに弱いのであえてここに並べ、攻守のバランス、攻めも守りも同じ重さで必要であることを自戒したものです。

 最後の文字「群」は、単品や一つのビジネスラインで抜きん出るのではなく、ビジネスラインや組織を複数の群として持つことに重きを置く群戦略を意味します。

 もちろん、複数よりは単品経営のほうが効率は高く、ROI(総資本対経常利益率)を上げる最も手っ取り早い方法です。したがって弱者の立場で事業を始めたばかりの時は、一つのビジネスラインに兵力を集中させた方がよりよいことは確かです。
 しかしその場合、市場環境や状況が一変すれば総崩れになります。だから、ある企業規模なり事業の次元を超えたら、そういう手法をとるべきではないと思うのです。
 そこで、危険分散と互の相乗効果をねらうという両方の意味合いから、私は常に複数のビジネスラインを持つ陣形、群戦略を採ります。それが「攻守群」です 】と、

 この5文字は、独自に付け足したというだけあって、今日まで氏の常に重要視するビジネス規範ともいうべき思いが詰まっています。
 当連載その14における「一世一代の事業選び」を思い出してください。そこで見た40の創業事業案を絞っていく過程で、フィルターにかけた最初のほうの条件が、「世界のNo.1になることを理想に、まずその分野で日本一になれる事業か」というものと、「時代の流れに合っているか」の2つでした。

 「一」と「流」。この2つの文字が、いの一番にきているということから、いかにこれらを重要と考えていたかがよくわかります。またこの「二乗の兵法」を作ったのは、ベンチャー事業駆け出しのときで、のちに大きく成長することも想定しています。「人生50年計画」の表を見れば、着実に「攻守」が実践されてきていることがよくわかります。

 最後の1文字、「群」については、進化論をベースにして、300年先も繁栄を続けるソフトバンクの大計を論じた組織論につながっていきます。
 その詳しい組織論を見る前に、ここでは、まずこの25文字に沿って、青年の解説を順に見ていきます。

孫子の兵法は事業スタンス

 【 次の2行、「道天地将法」「智信仁勇厳」は、ともに「孫子」の始計篇に出てくるもので、前の5文字は王たる者の王道として心すべきものを、そして後の5文字で一軍の将たる者の心得を説いています。
 これは、ビジネスの世界で一番になるために、まず心しなければならない物凄く大事なことだと、私は理解しています。
 道=方針、天=時機、地=状況、将=指揮官、法=組織形態、これらは自他の戦力分析の基本項目であり、そして指揮官=経営幹部に求められるのは、次の5文字にあたる智謀、信義、仁義、勇気、威厳です。

 「孫子」を読む重要なポイントは、基本的なスタンスとして「戦」を「事業」として捉えているところにあります。孫子は、あくまでも「道」、つまり本来的に目指した高い志や理念を追及し、それを実現するため、戦というのは手段に過ぎないと、はっきり割り切っています。そこを理解しているからこそ、戦を事業と見て、確実に勝ちを収めることを旨とし、合理に徹することができるのです。
 肝心なのは、そこにある志と理念です。その志には高潔で品位の高いものだという絶対的な自信が誰よりもなければなりません。ソフトバンクは、「デジタル情報革命を推進するためのインフラを提供すること」を志・使命としています。
 その事業を推進することで人間の能力をより高め、人々が幸せに一歩でも近づくことができるようにする、というのが我々の経営理念です。それは、国や地域、そして会社や私個人のエゴといった次元をはるかに超えた「道」です
】と。

 この孫子の兵法を読む重要なポイント。それは戦いを事業として捉えることが基本的なスタンスだと、若干28歳の青年がこの書の真意を見抜いている点が、今日のソフトバンクを築くまでに至った氏を彷彿させるところです。
 2500年も前に著わされた兵法書が、ナポレオンの座右の書になり、徳川家康の「武教七書」になり、儒学・朱子学者の林羅山は「孫子諺解」で、江戸の大思想家・山鹿素行は「孫子諺義」で、また吉田松陰は「孫子評註」で、注釈書を出すまでになっています。
 またこのあとで見る「風林火山」は武田信玄の旗印となっていることはよく知られており、また現代ではビル・ゲイツまでもが愛読している書だということです。

 これほどまでに長く幅広い層で読み継がれてきたその理由は、孫青年が指摘しているように、戦いの場というよりも、目標に向かって大勢の人間をまとめていく、あるべきリーダーの姿・スタンスを云々している書だからということで、人間の本質とは何か、人間の心理とはどういうものか、人間を深く掘りさげた、政治・経済そして経営と全般に亘る指南書であり、ひいては人生訓とも捉えることができるからでしょう。
 その意味で、当連載を愛読されている皆さんにも、この内容を役立てていただけるものと思います。青年はさらにこれに続けて、自作の1行を加えた5文字を次のように述べています。

5割でもなく、9割でもなく、7割が重要

 「頂情略七闘」も、最初の5文字とともに私の創作です。将たるものの心得として第一に挙げられた智、つまり智恵とは何か、を展開したものです。
 まず頂上に立って見渡すという「頂」。詳細な検討に入る前に、まず山の頂きから全体を360度見渡し、大きなピクチャーを描き、全体図を面で捉えてみようということです。
 そして情報を徹底して集めるの「情」。それを集めたら、戦略を立てる「略」。

 この順番が大事なのです。戦略から入ろうとすると、“とりあえず目に見えることからやったらいいじゃないか。あまり頭でっかちなことを言うな”と、すぐにも戦術から入ってしまいがちになり、本末転倒になるからです。
 戦術は変化する状況に応じた具体的な対応策であって、もともと攻めるべき事業領域と旗印を最初に定め、戦いの利害損失を計らなければ、戦術は立てようもないのです。

 「七」は7割。これは7割という数字が持つ意味の重要さを示したものです。勝つ確率が1割か2割なら問題外ですが、五分五分の時に戦いを仕掛けるのも愚かです。逆に私は、勝率9割という数字が7割よりいいとは思いません。

 ここがポイントです。勝率が9割のところに平均点を置くと、わがデジタル情報産業界では、すべて手遅れになるのです。勝率9割を求めると、戦いの陣形が理屈の上では完璧に整ったとしても、いざ仕上げとなる戦いに勇んで参戦したら、もはやレースが終わった後だったということになりかねないのです。

 局地戦の勝ちをいくつか拾っても、世の大勢は、すでに5割の勝ちを絶対数で取った陣営の色に染まっており、結局は、勝ちを逸してしまう。だから、7割の勝率に目盛りを合わせ、7割までの要素が揃ってきたら、とにかく素早く打ち込んでいく。
 と同時に、事業をリスクにさらすのは経営体のなかで3割以下に抑え、また新規事業についても、失敗しそうな確率を3割以下に抑えるという形で、目盛りを合わせていくのです。
 次に「闘」。逆説的に聞こえますが、「知恵イコール闘い」と私は理解し、ここに「闘」の字を入れました。知恵は、戦いに勝つことを前提とした知恵でなければ、机上の空論に終わるからです 】と。

 山の頂きから全体を360度見渡し・・・と解説した、この5文字の最初に出てくる「頂」という文字。2000年にITバブルが崩壊し、ソフトバンクの時価総額が100分の1にまでに暴落して、もはやこの会社は危ないとの声が出始めたとき、孫氏は分かり易い例で、この「頂」の意味する内容を次のように語っています。

先から今を見ることの意味

 “川の上に浮いて流れている葉っぱは、右に左に、ときには石や岩にぶつかって逆流したり渦を巻いたり、激流であればあるほどとてもまっすぐ流れているようには見えない。
 でも、それは近くで見ているからであって、1キロ、2キロ離れたところから見れば一直線なんです。川上から川下へ。物事はシンプルなんです。大きな絵で見れば。
 つまり、これだけ変化が激しい、海で言えば、波高く荒れているときに、3メートル先を見ておったら海の景色が揺れに揺れて、船酔いを起こしてしまうわけです。
 だからこそぼくは逆に、あえて100キロ先、300キロ先の遠くを見てみる。そうすると、景色はほとんどぶれずおだやかなんです。そのような静かな海にぴたっと照準を合わせる。
 そう言うと、よく人が言うんです。これだけ変化の激しい時代に、そんな何年も先を見ていて、わかるかと。多くの人は、現実が大事だ、先を見てどうするんだと言う。
 それは言葉づかいが正確ではない。先を見るのではない。先から今を見てくる。変化が激しい時だからこそ、できるだけ遠くに目を配り、遠く高いところから全体をバッと見返す。そういうイメージってビジネスにとってものすごく大事だと思うんです。

 未来から現在を見返す目、その先というのは何かと言ったら、仮に海で言えば、ほとんど安定してしまった、なぎている海。なぎているそこから今を見ると、今の嵐なんてたいしたことはないとなるわけです。
 1920年代、当時の大衆はやがて車社会がやってくるだろうとの感覚的なものから、T型フォード大衆自動車の発売前後、フォード社の株を買いあさった。株は高騰に継ぐ高騰。ところがそのあと1929年に大恐慌が起こり、自動車株は大暴落した。 

 しかし、その恐慌前後の株価の差など、長い目で見ればナンセンスなことで、今から見ればいずれにしろ「超安」だったということなんです。”

 ここで、「孫の二乗の兵法」を立案して以来15年もの間、氏の考え方に一切ブレがなかったことがわかります。永いスパンの中で現時点を捉え、常に大局から物事を見るという鳥瞰図的なものの考え方・見方、つまり「頂」の重要性を指摘していることが、これでよくわかります。

 そして圧巻は次の言葉です。戦は終わった後が肝心だとして、「治めて初めて完結」に言及し、孫子も誤ったのではないかと、大胆にも孫子の原文の1文字を修正までして、次のように言っているのです。

雷の文字ではなく、海の文字が適正

 【 最後の「風林火山海」。武田信玄も旗印に引用した孫子の「風林火山」の四文字は、闘いを展開するやり方で、最前線における、実に見事な闘いぶり、前線指揮のありようを示しています。
 「孫子」の中では、この四文字の後に「動くことは雷の震うが如くにして」と、雷の文字が続くのですが、孫子もここでは重視すべき順を間違えたのではないか? 私には、それはどうでもいい枝葉末節に思えるのです。風林火山で怒涛の如き戦いが終わっても、まだ戦いは完結していないと思うからです。
 そこで私は、あえて風林火山で止め、次に「海」の字を入れました。戦いが終わった後には、平定するという大事な仕事が残っているからです。

 私の頭の中では、この平定が大海原のイメージに繋がっていて、広く深い海がすべてを呑み込んだ後、秩序がもたらされるように、最終的には攻めた国、つまり市場を治めるところまで持っていって、初めて戦が完結すると考えるのです。
 ともすると、美しい戦いをしようと、戦そのものに芸術性や人生の価値を求めて散っていった上杉謙信のような武将を美化し、それに酔いしれる人も少なくありません。だが少なくとも私は、勝つ確率の低い新規事業にチャレンジし、そこで劇的に勝って世間の拍手喝采を浴びようなどとは思っていません 】と。

 孫子の兵法の原文は、「始計編」「作戦編」「謀攻編」「軍形編」」「兵勢編」「虚実編」「軍争編」「九変編」「行軍編」「地形編」「九地編」「火攻編」「用間編」の13編から成り立っていて、この中の「始計編」から2行、「軍形編」から1行を引用し、自作の2行を加えたのが、この25文字の「孫の二乗の兵法」でした。

 氏の立案したこの25文字が広く世の中に知れ渡ったのは、2010年7月28日、氏がソフトバンクの後継者の育成も兼ね、広く世に門戸を開いた人材育成のためのソフトバンクアカデミア開校記念特別講演で披露したからでした。 
 このときをきっかけに、以降、プレジデント誌や多くの書籍で取り挙げられました。

 ここで改めて驚くことは、最初の立案から特別講演までの25年間に、この25文字が一字たりとも変更されていないということです。
 世の中、目まぐるしく変わるデジタル時代の四半世紀という年月には、変化に対応する形で修正を余儀なくされることが、ままあってもおかしくはないのですが、当初からまったくブレていません

 ただ特別講演で披露されたものと、当初の立案時のものとでは、並べ行の順序だけは意図して変えています。それは経営という観点から、思考順序に従って図のように整理したということです。
 しかし私見を申しあげれば、立案時の順序のほうが、青年の脳裏にフツフツとわき上がっていた創業当時の情熱がストレートに伝わってくる思いがします。

 それでは次回、第2行目の「群」に基づく、ソフトバンクの300年先までを見据えた組織論を見ていきます。そこでは進化論が背景となっています。

(連載・第二十二回完 以下次回につづく)


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
  • 始まったAI激変時代と地頭力
  • 始まったネット激変時代と成功する経営者像
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  • 成功する人・しない人を分けるもの、分けるとき。
  • もったいない、あなたの脳はもっと活躍できる!
  • こうすれば、あなたもその道の第一人者になれる!
  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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