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その26 社内の混乱と日次決算

社内の混乱

 今回は、孫青年のマネジメントという観点から、まずは社内で起きた混乱の収拾話から始めたいと思います。それは1983年の春に孫青年が重度の慢性肝炎との診断を受け、自分は会長職に退いて新しい社長を迎えたことに端を発します。
 青年は“会長に退いたとはいえ、会社の仕事から手を引くつもりはなかった”と言っているように、病室にパソコンとファックス、電話機を設置し、そんな中で前回見たアダプター開発の構想も出てきたわけですが、同時にその後の社内では次第に新社長色へと染まっていく深刻な問題をもたらしたのです。

 新社長は金融界で腕を振るったキャリアを活かして業績を順調に伸ばしていったのはよかったものの、一方で彼の登用した元証券会社の子飼い社員が日を追って増えていったことから、従来の若手プロパー社員たちとの間に軋轢が生じていったのです。
 新社長になって2年、1985年の半ば、とうとうプロパー社員たちが青年の病床にやってきては不満を述べるまでに至り、やがて信頼してきた有能な役職員20人が一斉に辞表を出し、独立して会社を設立するという「ソフトバンク事件」が発生したのです。
 “もうちょっと待って欲しい。必ず現場に復帰して何とかするからと、屈辱感を抑えて最後まで頼んだが、引き止めることはできなかった”と、孫氏は当時を振り返っています。そしてさらに競争相手へと、一部の社員までが引き抜かれたりするように発展していったのです。

 ここに至り、青年はついにこの新社長を紹介したあのシャープの恩人・佐々木氏に“自分が社長に復帰しないと、自分に無縁の会社になってしまう”と切実な叫びをぶつけるまでになったのでした。
 さっそく佐々木氏が、新社長に面会を求め、孫青年の意向を伝えると、“あんな若い人では社長は無理です。きっぱりお断りします”ととりつくしまもなく、とうとう事態は抜き差しならないところまで来てしまったのでした。

臨時役員会での定款変更

 そこで思案の末に出した結論は、新社長を合法的に社長の座から降りてもらうというものでした。幸いにして病は快方に向っていて、1986年に入ると、ついに主治医から青年のオフィス全面復帰が許されます。
 かくしてこのタイミングに合わせる形で、会長であった青年は或るペーパーを懐に忍ばせ、残った役員だけによる臨時役員会を招集します。それは新社長以外の役員すべてから了承を取った承認印のあるペーパーでした。

 この役員会の議題は定款の変更でした。“内規の変更を提案します。役員就任は40歳までと内規を変更しますが、異議はありますか”
 周到な根回しをした上での新社長退位というシナリオに異議はありませんでした。顔面を紅潮させ、憤然とした新社長が“俺を追い出すのか。あんたたちで会社をやっていけるのか”と声を荒らげたものの、シナリオ通りに役員会は数分で終わったのでした。

 こうして1986年5月、青年は再び社長に完全復帰することになりました。何の実権もない会長に棚上げされた前社長は、それから3年後の1989年に会社を去ることになりますが、そのうちの2年間、前社長に車と運転手を提供し、100万円を超える会長給与を支払い続けました。
 さらにその上、前社長の出した条件で、日本ソフトバンク株の30%(当時900万円相当分)も与えたのです。しかし後に、彼からその買戻しを要求されますと、“争うのは嫌だからと、言い値で2ケタに近い億単位の額で買い取りました”と、そのまま要求に応えています。

 さて、こうして「ソフトバンク事件」は終わりましたが、この交代ドラマで明記しておかねばならない大事なことがあります。それは、青年が時々顔を出すものの、長期にわたりオフィスから遠ざかっていたにもかかわらず、去った一部社員を除き、残りの多くの社員の心が孫青年から離れていなかったという事実です。
 これこそ日頃の積み重ねによって築き上げられてきたものです。孫青年が彼らのハートをしっかりと掴んでいなかったなら、彼らから相談を持ちかけられることもなく、また事前の臨時役員会への根回しなどもできなかったはずです。  
 また、もしも前社長の人事・業務におけるマネジメントが、孫青年のそれと比較して優れていたものだったなら、逆に前社長を推していたはずです。

 日頃からハートの通った人事管理がなされているかどうか、このように人間の真価はいざ窮地に立ったときに現れてきます
 またこの土壇場で孫青年の前新社長に対する処遇フォローにもまた見られるように、孫青年の優しい人柄が垣間見える一方、「利己」に執着し、お金で安易に事を済まそうとする前社長には、マネジメントとしての信念のようなものが感じられなく、こんなところからもやはり経営者としての大器ではなかったのではないかと推察されます。 
 
 会社を離れた20人の役員が独立して作った会社は、その後、結局長く持たずに消えていってしまいました。 ドラマでもよく見る例のように、ここでも裏切った人は絶対にどこに行っても成功しないということを教えてくれます。
 当時、会社の人間が抜けていったあと、顧客の不満も大きかったとのことですが、それよりも病床で苦しんでいた創業青年を「裏切るような仕打ちで会社を去るとは 、義理を欠いた人間そのものだ」という反応のほうが大きかったそうです。
 
ライバルの台頭
 
 こうした社内の人事騒動があった一方で、今度はライバル社の台頭という本業のソフト流通のほうで頭を悩ます問題が起こってきました。ソフトバンクが日本で初となったソフトの大々的な流通事業を始めたのは1981年です。
 その日本ソフトバンクが、日本のソフトメーカーとソフト量販店の両翼で君臨していたハドソン社及び上新電機のそれぞれと、創業早々にして矢継ぎ早な独占契約を結ぶことに成功し、瞬く間にビジネス基盤を確立、業績を伸ばし始めると、そこはビジネスの常、手強い競争相手が次々と名乗りを挙げてくるのです。
 
 中でも大手として1983年に業務を開始したのが「ソフトウェアジャパン」でした。輸入されるソフトのマニュアルを翻訳する仕事をしているうちに、ソフトの流通事業という商売があること知ったこの会社の発起人は出版界の人で、日本ソフトバンクとソフトの仕切り値で争いながら、以降大きく成長していきます。
 後には大ヒットしたネットスケープ「ナビゲーター」の販売代理店として日本ソフトバンク以上の数量を取り扱うようになり、またさらにそののちには、インターネットを通じた双方向ゲームの「ドゥアンゴ」にも力を入れていきます。
 インターネット重視という点で1990年代初期には、日本ソフトバンクよりも先を進んでいくように思えるほど積極的な事業展開をすることによって、ソフト流通の覇権を日本ソフトバンクと競うまでになったのです。
 
 また、孫青年が病気回復直後にも、さらに強力なライバルが誕生します。当時、ソフトの流通における日本ソフトバンクの独占的な勢いを見て、この流通業界では焦燥感が募っていました。
 その結果、大手出版社の資本金出し合いによって作られた書籍流通最大手のトーハンをお手本として、ソフト流通分野でも大手ソフトメーカーが協力しあってそれ相当のものを作るべきだとの話が出てきました。
 そしてこのコンセプトによって「ソフトウィング社」が誕生するのです。
 
 その設立準備は孫青年の病床中に着々と進められ、日本ソフトバンクからは商品部長以下人材をごっそり引き抜かれてしまうことまでありました。筆頭株主はアスキー社で、明確な対抗軸を打ち出したこのソフトウィングは、ゲームソフトの流通などに一定の地歩を固め、のちに年間100億円もの売上げに成長していくのです。
 このようにライバルの台頭で価格競争が激しくなり、日本ソフトバンクの粗利はそれまでの30%から10%までに落ちるという、創業以来の大きな危機にみまわれるようになります。
 ここに至る過程で日本ソフトバンクは、大きくビジネススタイルを変えることを余儀なくされ、その強化・力点をゲームソフトからビジネスソフトにシフトする一方、地道ながらも徹底した経費削減努力によってその場を凌いでいくことになります。
 そこで生まれてきたのが日次決算でした。当時、孫青年は次のように語っています。
 
日次決算と千本ノック
 
 【 以前、うちの出版部門が赤字を出して、6誌のうち5誌までが赤字になった時があるんです。その時に、各雑誌ごとに細かく分析して手を打ったら、半年後にそのうちの4誌まで黒字にすることができました。つまり部門を細かく分けて分析すると、それぞれにおける経営の正確な実態がつかめるというわけです。
 流通はとにかく毎日が勝負です。月次決算で数字を見ても、1ヶ月前の数字ではまったく役に立ちません。毎日の決算を出すことにより足元の状態をすばやく知って、初めて対策が打てるようになります。
 
 そこでパソコンもまだ貴重な時代でしたが、社員各自にパソコンを3台与え、そのパソコン網を使って日々の基本的なデータを集めることにしました。さらにその上、女性の担当者に1日30分だけ特別なデータを入力させれば、すぐそのあと会社全体の日次決算が出てきて、それをチェックできるようにしたのです。
 データはすべてグラフ化し、その変化を見て何が問題で何が重要か、一目瞭然にわかるようにしました。このソフトは、もちろんわが社独自の開発で、売ってくれという希望もありましたが、お断りしていました。わが社は日本中のソフトを売っていますが、これが唯一、売らないソフトでした。
 
 どこの会社にも、数字だけのデータはごまんとあるでしょう。しかし、数字だけでは何が特長なのか、あるいはどこが重症なのか見えない。分析にはグラフ化すれば、それがよく見えてきます。普通、一つの会社で50か、100くらいの指標をグラフ化しているかもしれません。
 しかし、それくらいではまったく足りないというのが、私の考えです。創業時からのデータも入れ、日々のデータを加えたあと、切り口を変えて様々な指標を出せば、全社では膨大な数のグラフができます。
 わが社ではそれを千本集めて、日次決算用以外にも定期的にどこに問題があって、どこをどう直さなければならないか究極の分析に使っています。
 これを「千本ノック」と呼んでいます。黄色の信号なら次ぎは赤だと、誰にでもわかる、しかし経営上それでは手遅れになるケースがあるのです。青のうちに、黄色になる芽をつんでおくわけです。
 
 このように、会社の状態を徹底的にデジタル情報化したのです。こうしてスピードと質でライバルとの競争に備えるだけでなく、ビジネスの発展にこの「千本ノック」を活用しました。経営会議も全役員がノートパソコンを見ながら、営業報告、決裁などすべてパソコン上で行なうペーパーレスです。
 パソコンがあれば、世界中どこからでも情報を引き出して、判断を下せます。だから、すべての稟議は48時間以内に終ります。取引先のトップと会う前に、5分間パソコンをたたけば、最近の取引状況もわかります。わざわざ部下を呼んで説明させることはしません。報告や指示も電子メールで済みます。
 だから、わが社の経営会議では、「この部門は最近、どうもおかしい」とか、「たるんでる」などという、あいまいな精神論的な議論は一切ありません 】と。
 
  世の中でまだパソコンが目新しいころ、早くも社員全員に3台もパソコンを与え、それをフルに活用しているマネジメントの仕方がここに見て取れます。経営指標の切り口とその細分化、そして一目瞭然のグラフ化が、ソフトバンクの経営の基盤となっていたことがよくわかります。さらに続けて青年は次のように語っています。
 
「有視界飛行」よりも「計器飛行」
 
【 経営にはいろいろな方法論があるようですが、私は大きく分ければ、実は二つではないかと思います。
 一つは社長の直感で経営する、いわば操縦桿を握ってセスナ機を操縦するような「有視界飛行」です。創業まもないころの私がそれで、自らアクロバット飛行もおこないました。
 もう一つは徹底した経営分析による、いわば何百個もの計器の力でジャンボ機を操縦するような「計器飛行」です。 その中でも自分が一番やりたい形態は、スペースシャトルの打上げ飛行ように、地上に何人ものスタッフがいて、準備に2~3年かけて飛ぶという「超」の字が付いた「超・計器飛行」です。
 だから、10億円よりは100億円規模の、100億円よりは1,000億円、1,000億円より1兆円規模の会社のほうが、本来自分の目指すものと一致していて、そこで一番の喜びやダイナミズムを感じながら、「超・計器飛行」のすばらしい経営がしたいと思っているのです 】と。 

 この中身は30年近くも前の当時から実行している部分と、また将来に向けての構想部分もありますが、2006年の年商1超円に達したころには「超・計器飛行」を、そして年商9兆円にもなった最近では、おそらく「「超・超・計器飛行」」を実践しているものと思われます。
 “1,000億円より1兆円規模の会社のほうが、本来自分の目指すものと一致していて”とありますように、30年近くも前から、マネジメントとして目指す方向に一切のブレもなく今日に至っていることがよくわかります。
 さて、次号の稿ではこの「日次決算と千本ノック」の話の続きとして、「赤字倒産は起こらない」の話から始めます。

(連載・第二十六回完 以下次回につづく)
 


執筆者 梶谷通稔
(かじたに みちとし)
  • 岐阜県高山市出身
  • 早稲田大学理工学部応用物理学科卒
  • 元:米IBM ビジネス エグゼクティブ
  • 現:(株)ニュービジネスコンサルタント社長
  • 前:日本IBM  GBS 顧問
  • 前:東北芸術工科大学 大学院客員教授
  • 現:(株)アープ 最高顧問
  • 講演・セミナー・研修・各種会合に(スライドとビデオ使用)
    コンピューター分析が明かすリクエストの多い人気演題例
  • 始まったAI激変時代と地頭力
  • 始まったネット激変時代と成功する経営者像
  • どう変わる インターネット社会 あなたやお子さんの職場は大丈夫か
  • ビジネスの「刑事コロンボ」版。270各社成功発展のきっかけ遡及解明
  • 不況や国際競争力にも強い企業になるには。その秘密が満載の中小企業の事例がいっぱい
  • 成功する人・しない人を分けるもの、分けるとき。
  • もったいない、あなたの脳はもっと活躍できる!
  • こうすれば、あなたもその道の第一人者になれる!
  • 求められるリーダーや経営者の資質。
  • 栄枯盛衰はなぜ起こる。名家 会社 国家衰亡のきっかけ。
  • 人生1回きり。あなたが一層輝くために。

テレビ出演と取材(NHKクローズアップ現代、フジテレビ、テレビ朝日、スカパー)

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